大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成9年(ラ)256号 決定 1997年8月26日

抗告人

吉武伸剛

右代理人弁護士

椎名麻紗枝

鈴木利治

相手方

渡邊良三

外三三名

相手方ら(後藤壽を除く)代理人弁護士

大江忠

鎌倉利之

檜垣誠次

鎌倉利光

主文

一  原決定を取り消す。

二  相手方らの本件担保提供命令の申立を却下する。

理由

第一  即時抗告の趣旨及び理由

別紙即時抗告の趣旨及び理由のとおり。

第二  当裁判所の判断

一  事案の概要

1  原決定の引用

原決定二頁八行目の文頭から同一九頁六行目の文末までを引用する。

ただし、次のとおり補正する。

(一) 原決定七頁八行目から九行目の「業務上の注意義務を尽くさせていたならば」を「業務上の注意義務を尽くさせ、前示薬剤の製造販売の中止を提案し、その継続の決議に反対するなどしていたならば」と改める。

(二) 同一〇行目の「したがって、」の次に「取締役である申立人らは、右注意義務を怠った過失がある。また、」を加える。

2  事案の経緯

抗告人は、本件代表訴訟において、本件会社(株式会社ミドリ十字)の取締役、監査役に対し、同会社がHIV感染のおそれがある非加熱血液薬剤を製造販売したことにつき、業務執行ないし監視義務違反の責任を追及した。これに対し、原決定は、抗告人らが提起した本件代表訴訟につき担保提供(一人あたり二〇〇〇万円)を命じた。

二  本件担保提供命令の問題点

1  原決定の担保提供を命ずる理由は、要するに、抗告人主張の請求原因が特定を欠き、抗告人らがその釈明に応じないのは、商法二六七条六項、一〇六条二項の悪意に当たるというのである。

2  原決定の当否を検討するには、右理由に関して次の事項を考える必要がある。

(1) 代表訴訟、とくに取締役の会社に対する責任の要件事実の構造、その請求原因事実。

(2) 代表訴訟における担保提供命令の性質、要件。

(3) 請求原因の不特定の場合の取扱―民訴法上の補正命令と商法上の担保提供命令の関係。

そこで、以下、これらの点につき順次検討する。

三  取締役の会社に対する責任の要件事実ないし請求原因

1  代表訴訟の基礎となる商法二六六条所定の取締役ないし監査役の会社に対する責任は、本来会社に対する任務違反の責任であって、債務不履行責任の性質を有し、その帰責事由(故意、過失―主観的要件)は、原則として、その不存在を取締役、監査役側において主張立証すべき責任を負う。しかし、いかなる任務に違反したかという客観的要件は、株主側でこれを特定して主張し、かつ立証する責任がある。取締役の会社に対する責任を定める商法二六六条一項は、違法な利益配当(一号)、株主の権利行使に対する違法な利益供与(二号)、取締役に対する金銭貸付(三号)、取締役会社間の取引(四号)、違法違款行為(五号)を挙げている。これを一見すると、任務違反の事実として取締役の何らかの積極的行為、すなわち作為が必要であるようにも見える。しかし、本来、取締役の会社に対する責任は、もともと取締役がその会社に対する「任務ヲ怠リタル」こと、即ち任務懈怠による損害賠償責任を定めたものである(昭和二五年改正前の商法二六六条一項)。本条一項は任務懈怠のうち一ないし四号においてその忠実義務違反を含む任務違反行為を定め、五号において違法、定款違反という一般的な任務違反ないし任務懈怠行為を定めたものといえる。取締役は会社に対し、委任ないし準委任の関係にあり(商法二五四条三項)、善良な管理者としての注意義務(以下、善管義務という)を負い(民法六四四条)、かつ、忠実にその職務を遂行する義務(以下、忠実義務という)を負う(商法二五四条ノ三)。したがって、取締役がその任務を遂行するに当たり善管義務や忠実義務の懈怠があるときは、民法四一五条または本条一項の損害賠償の責任を負う。

ところで、この取締役の任務懈怠の責任は、取締役のいかなる任務につき、どのような懈怠があったかが主要な要件事実となる。なお、その基礎となる任務(義務)の存在を基礎づけるものは、委任契約自体であり、原決定のように善管義務、忠実義務からこれを直接定めることはできない。すなわち、善管義務ないし忠実義務は、基本的には、その任務を前提としてそれから派生する各義務の尽くすべき注意義務の程度を示す基準である。したがって、まず、取締役がいかなる業務を委任されているか、即ちその任務の内容を明らかにしない限り、問題となっている義務が取締役に課せられたものか否かを明らかにすることはできない。もとより、任務が明らかになった後になおその義務の範囲の広狭などに問題が生ずるときには、善管義務や忠実義務の視点からその範囲の内外を判定すべき場合はあり得るが、それはいわば調整の問題にすぎない(原決定の説示は、以上のような観点が十分とはいえない)。

そして、現在の株式会社において、代表取締役、業務執行取締役などの執行機関の支配が進む中で、これらを除くいわゆる平取締役は、業務執行というよりも業務執行監視義務を中心とした任務を負う。即ち、取締役は、取締役会の構成員として、会社に対し、代表取締役が行う業務執行一般につき、これを監視し、必要があれば、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて、その業務執行が適正に行われるようにする職責を有する。即ち、取締役は取締役会に上程された特定の業務執行に限らず、広く代表取締役の業務執行につき一般的監視の義務ないし任務を負うものである(最判昭四八・五・二二民集二七巻五号六五五頁参照)。

2  取締役の会社に対する責任の要件ないし請求原因事実も、それ故に、業務執行行為の違法の責任を問う場合と監視義務違反の責任を追及する場合とでは、自ら異なったものとなる。業務執行行為の違法の責任をいうためには、①取締役の地位、任務、②その任務を行うにつき違法または任務の懈怠があること、③違法な任務遂行行為ないし任務懈怠と損害との間の相当因果関係を主張立証する必要がある。

これに対し、平取締役の監視義務違反の責任については、次の要件が必要である。①取締役であること、②代表取締役等執行部門ないし経営陣の任務懈怠の具体的態様(単なる放漫経営とか、経営のずさんとかの主張では不十分である―最判昭四五・七・一民集二四巻七号一〇六一頁参照)、③取締役が監視義務を怠ったこと、④損害の発生、⑤監視義務違反と損害との相当因果関係。

3  原審は、第一回口頭弁論期日において、次のような釈明をした。すなわち、「被告ら[相手方ら]取締役の責任原因は、要するに「取締役の故意又は重過失により(監視義務違反を含む)、昭和五七年七月頃から昭和六三年六月頃までの間に、非加熱血液薬剤が製造販売されたため、HIV感染者を出し、もって本件会社が和解金債務等を負担するに至った」ということか。もしそうであるなら、被告ら[相手方ら]取締役の担当職務を明らかにするとともに、右期間の血液薬剤の製造販売にどのようにかかわったのか(前記取締役の故意又は重過失(監視義務違反を含む。)を基礎付ける具体的事実を含む。)を具体的に主張されたい。」と。しかし、相手方らは、「会社の損害が相手方らの業務執行又は監視義務違反によるものであることを明確に特定して主張している」旨主張して、釈明に応じない。そこで、原決定は、「抗告人の本訴請求は請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充又は変更しない限り請求が認容される可能性のない場合に該当し、ひいては請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合に該当する。」と論じている。

4  しかし、原決定のこの理由説示は是認することができない。確かに、抗告人主張の請求原因には曖昧で不十分な点が少なくない。とくに、前示の取締役の会社に対する責任の性質、構造、要件に対する理解の不足ないし誤解が目につく。即ち、抗告人は、本訴の請求原因として、訴状では「ミドリ十字は前示期間中、HIVに感染する恐れがあることを認識しながら、または業務上知るべきであったのに、重大な過失により認識しないで、非加熱血液薬剤を製造販売し、以って、被害者またはその遺族に対し、訴訟上の和解金を負担し同額の損害を会社に与えた」という。そして、「(これは、)取締役らが当然尽くすべき業務上の注意義務を尽くしておれば、支払うべき謂われのなかった余計な出費である。監査役らは、取締役らの業務執行を監視する義務を怠り、さらに、その取締役らの損害賠償責任を追及すべき義務を怠ったことによる同額の損害賠償義務がある」と主張している。

次に、抗告人は、本件担保提供申立事件の答弁書において、次のとおり述べる。

「ミドリ十字の業務執行機関である取締役会の構成員である申立人(被告)ら取締役および監査役の業務執行責任または業務執行に対する監視義務違反責任を追及する」。また、「非加熱血液薬剤の製造販売を中止せず、消極的にその継続が取締役会の決議に基づいてなされた場合には、その決議に賛成した取締役または監査役はその行為をしたものと看なされ、また、その決議に参加して議事録に異議を止めなかった者は、その決議に賛成したものと推定されるのみならず、積極的にその中止を提案し決議を求める義務が申立人(被告)ら一人一人に課せられていたのに、その中止を提案せず、従って、その中止が取締役会の議題にならず、議論もなされなかった場合にも、不作為による民事責任がある」と。

これらの主張は、必ずしも明確なものとはいえない。しかし、これを精読すれば、抗告人は本訴において相手方ら取締役に対して、その業務執行行為の違法と共に業務執行の監視義務違反を請求原因としているものといえる。

(1) このうち、取締役の業務執行行為の違法を請求原因とする部分については、次のとおり考えるべきである。

イ 相手方取締役らのうち相手方須山忠和、同松下廉藏及び同川野武彦は、抗告人がいうHIV感染のおそれがある非加熱薬剤を違法に製造販売したという時期ないし本件和解が成立した時期に代表取締役社長であった旨主張していることが一件記録、特に抗告人主張の抗告理由により明らかである。そうすると、相手方らは会社の最高経営者としてひろく会社業務全般について対内的な業務執行、対外的な会社代表権限を有すると共にその一般的な義務を負う(商法二六一条、七八条)。しかも、本件記録によれば、同人らは抗告人主張のとおり既に本件非加熱血液薬剤の製造販売に関して業務上過失致死傷の罪で起訴され、第一回公判において起訴事実を基本的に認める旨を陳述している。そうすると、同人らの本件非加熱薬剤に関する違法な業務執行の存在も十分推認される。したがって、同人らに対する抗告人主張の請求原因には、審理充実の視点から不十分な点があるとしても、これを主張自体失当であるとまでいうことはできない。

ロ 右三名を除く相手方らは右時期において代表取締役ではなく、会社法上直接業務執行の任務を負うものではない。そうすると、これらの者に対する業務執行行為の違法をいうには、前示の要件事実に照らし、右相手方取締役らが自ら行ったという業務執行の具体的内容を主張、立証しなければならない。ところが、抗告人は原審の釈明命令にもかかわらず、これを明らかにしていない。抗告人はこの点につき商法二六六条二、三項の決議賛成取締役の行為実行の擬制、決議参加取締役の決議賛成推定規定を援用して右主張に代えようとしている。そうであるなら、決議参加ないし決議賛成およびその取締役を、取締役会の決議の日時等を特定して具体的に主張すべきである。ところが、抗告人は、その具体的主張をしない。代表取締役以外の平取締役らの業務執行の違法をいう抗告人の請求原因は、それ故に原決定説示のとおり重要な部分に主張自体失当の点があるといわれてもやむを得ないものである。

(2) しかしながら、取締役の監視義務違反をいう点については、必ずしも主張自体失当とはいえない。なるほど抗告人の主張には曖昧で不十分な点があるが、抗告人はともあれ次の主張をしている。①相手方らが取締役である、②代表取締役等の執行部門ないし経営陣が危険な非加熱薬剤を特定の期間製造販売したため、HIV感染者を出した旨の任務懈怠の具体的態様、③相手方ら取締役が監視義務を怠った、④損害の発生、⑤監視義務違反と損害との間の相当因果関係、以上のような点を主張している。

以上の主張が一応なされている以上、審理充実ないし十分な理由記載の視点からみるとなお不十分なところがあるものの、株主側の情報や証拠収集が困難であることを考慮すると、監視義務違反の前示要件事実に照らして、主張自体失当とまではいえない。

四  監査役の会社に対する責任の要件事実ないし請求原因

1  監査役の会社に対する責任は前示取締役の責任と同じく会社に対する任務懈怠による債務不履行責任であり、このことは法文上一層明らかである(商法二七七条)。そして、資本の額が一億円を超える会社(本件会社の資本金は一〇六億五三六七万五三五六円)の監査役の任務は、会計監査のみならず業務監査にも及ぶ(商法二七四条)。

業務監査については、代表取締役等の業務執行者の行為に疑いがあると否とを問わず、常に業務執行者を監視し、業務執行に不正かつ違法な点または違法行為をなすおそれがあることを発見したときは、取締役会に報告し、必要があるときは取締役会の招集を求め、あるいは自ら招集し、適切な措置を執る義務がある。要するに、監査役も代表取締役等業務執行部門ないし経営陣の業務執行につき一般的監視義務を負うのである。

2  監査役の業務監査義務に基づく監視義務違反懈怠による会社に対する責任の請求原因事実は、それ故に、次のとおり取締役の監視義務違反の場合とほぼ同様である。①監査役であること、②代表取締役等執行部門ないし経営陣の任務懈怠の具体的態様、③監査役が業務監視義務を怠ったこと、④損害の発生、⑤監視義務違反と損害との相当因果関係、以上の要件が必要である。

3  そして、抗告人は相手方ら監査役に対する監視義務違反の責任要件について、不十分ながら一応右要件を主張している。これが主張自体失当ともいえない。この点は前示取締役の監視義務違反について説示したところと同様である。

五  担保提供命令の性質

1  商法二六七条五項は、株主が代表訴訟を提起したときは裁判所は被告[取締役]の請求により相当の担保の提供命令をなし得る旨を定めている。これは監査役に対する代表訴訟にも準用されている(商法二八〇条一項)。

商法二六七条六項は、同法一〇六条二項を準用して取締役が担保の提供を請求するには株主の訴えが悪意に出たものであることを疎明することを要する旨を定めている。この規定は、いわゆる会社荒らし等が株主権を濫用して自己の利益を図るため会社を害することを目的として合併無効、株主総会無効、取消訴訟などの会社訴訟を提起することを防止するために設けられた担保提供制度を、株主代表訴訟に準用したものである。

2  「悪意」について

株主代表訴訟に準用された場合の「悪意」の意味については、いろいろの見解があるが、被告取締役の責任に法律上、事実上の根拠がないことを知りながら、または嫌がらせのため、すなわち、取締役を害することを知って代表訴訟を提起することを指すものと考える。その理由はこうである。株主代表訴訟は六月前より引き続き会社の株式を有する株主でありさえすれば自由にこれを提起できる。このため、株主の中に、株主としての正当な権利行使を離れ、株主代表訴訟に名を借りて、個人的利益の追求その他社会的相当性がない違法な目的のために右制度を濫用する者が入り込むおそれがある。このような訴えを提起された取締役や監査役は、後日、株主代表訴訟で勝訴の判決を得たとしても、応訴による人的、物的な費用の支出による損害や名誉毀損等による精神的な損害を被る。この場合、取締役や監査役は、同人らに対する株主代表訴訟の提起自体が不法行為であれば、提訴株主に対し事後に損害賠償を求めることもできる。しかし、その場合でも、その株主が無資力である場合は、損害賠償の実を挙げることができない。また、既に訴えの提起によって失われた会社、取締役の信用、名誉は事実上その回復が困難である。そこで、商法二六七条五、六項は、右株主の取締役や監査役に対する損害賠償債務の履行を確保するため、その株主に対し、相当の担保の提供を命じる制度を定めているのである。

ところで、提訴株主が株主代表訴訟で敗訴したとしても、その訴え提起行為が常に違法であり、不法行為に該当するとはいえない。代表訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、次の場合に限るのが相当である。すなわち、当該訴訟で提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるとき、このような場合に限るのが相当である。けだし、訴えを提起する際に、提訴者において、自己の主張しようとする権利等の事実的、法律的根拠につき、高度の調査、検討が要請されるものと解するならば、裁判制度の自由な利用が著しく阻害される結果となり妥当でないからである(最判昭六三・一・二六民集四二巻一号一頁参照)。したがって、商法二六七条六項において準用する場合の同法一〇六条二項にいう「悪意」もこの趣旨を踏まえて解釈しなければならない。そうすると、右法条にいう株主の「悪意」とは、株主が株主代表訴訟を提起することが前示不法行為に当たるもののうち、それを知りつつ提訴した悪意(故意)をいうことになる。すなわち、代表訴訟の提起が不法行為となる場合のうち過失によるものを除き、故意による悪質な訴権濫用に当たるものだけを取り上げ、担保提供の対象としたものであると考えるのである。つまり、右の「悪意」とは、提訴株主が代表訴訟で主張する権利等が事実的、法律的根拠を欠いていることを知りながら、あえて訴えを提起し、またはこれを継続する場合、または、被告取締役ひいては会社を害し、これに嫌がらせをすることによって、個人的利益を追求する等社会的相当性がない違法な目的で、あえて株主代表訴訟を提起し、またはこれを継続するような場合を指す。そのような場合が取締役を害することを知って訴えを提起したもので、同条項所定の「訴ノ提起ガ悪意ニ出タルモノ」にあたるのである。

3  原決定は、前示のとおり釈明命令をしたうえ、次の点を挙げて、抗告人の本件株主代表訴訟の提起が悪意に出たものであるという。

(一) 抗告人は、取締役が非加熱血液薬剤の製造販売にどのように関与し、監査役が取締役の業務執行を監査する上でいかなる任務を怠り、両者において非加熱血液薬剤の危険性をどのように認識していたかの主張を十分にしていない。

(二) 非加熱血液薬剤の製造販売中止議案を上程すべき取締役会決議を特定して主張していない。

(三) 本件会社が非加熱血液薬剤の製造販売行為をした昭和五七年七月から昭和六三年六月までの間に取締役または監査役の地位にあった者すべてを、何ら区別することなく被告として訴訟を提起している。

(四) 右(一)ないし(三)の事実からすれば、抗告人の本訴請求は、請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充または変更しない限り請求が認容される可能性のない場合に該当し、ひいては請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合に該当する。

(五) したがって、抗告人は、右(四)を認識しながらあえて本案訴訟を提起したものと推認できる、と。

4 なるほど、一件記録によれば、原決定が指摘する前示3(一)、(二)の主張が十分でないし、(三)の事実はそのとおり認められる。しかし、前示のとおり取締役、監査役の監視義務の責任を追及する部分に関する限れば、一般的監視義務の見地からみて抗告人の本訴請求原因が主張自体失当とまではいえない。一件記録によれば(訴状のみでなく、その後提出された前示準備書面、答弁書などを読めば)、抗告人は、およそ本件会社の取締役であれば、非加熱血液薬剤の製造販売の中止を議案として取締役会に上程すべきであり、また、およそ本件会社の監査役であれば違法な非加熱血液薬剤の製造販売を中止するよう取締役の業務を監視する義務がある旨を主張して、一般的監視義務の懈怠に基づく請求をしていることが明らかである。したがって、前示3(一)ないし(三)の事実から(四)、(五)の結論を導くのは誤りであるといわねばならない。すなわち、本件代表訴訟で、抗告人が、その主張する相手方(被告)ら取締役・監査役の会社に対する責任が事実的、法律的根拠を欠き、かつ、そのことを知って、本訴を提起したものとはいえないのである。

また、一件記録によっても、抗告人に、本訴によって相手方(被告)取締役・監査役、ひいては会社を害し、これに嫌がらせをすることにより、個人的利益を追求するなど社会的相当性がない違法な目的があるとは、認められない。また、抗告人が、いわゆる会社荒らしや訴訟狂などの悪質者であり、これによって前示悪意の要件が推認できるということは、相手方において主張しないし、原決定もそれをいうものでない。

なお、現在我が国の株式会社、とくに大会社では、代表取締役等の業務執行者を除くいわゆる平取締役ないし監査役は、その大半が社内取締役ないし監査役であり、これを従業員の年功功労報償的な地位におく運用がなされている。それは、厚遇を受けながら取り締まらない取締役、監査しない監査役として業務執行者の盲判的な追認機構と化しているのである。平取締役や監査役は取締役、監査役本来の監視義務を尽くしていないし、これをなしうる会社内部の体制も一般に不十分である。もとより、このような現状を我々も知らぬではない。知らないではないが、そうだからといって、名目的な取締役、監査役や報酬のみを得て取締役、監査役としての職務をしない名誉職的な取締役、監査役に、法は席を与えることはできないのである。取締役会の活性化、監査役の監査の適正化を通じて会社業務の適正な運用を図ろうとする法の趣旨に照らし、前示のような現状に容易な妥協をして前示の責任要件の解釈を曲げ、取締役、監査役の任務の形骸化に途を拓くことはできない。もっとも、取締役、監査役にいたずらに過酷な責任を課すのも問題である。しかし、その賠償責任の緩厳のいかんは、賠償額の制限の立法や本案の裁判における帰責事由(故意、過失)の認定によるべきであり、この場合、取締役、監査役らが会社の重要な業務を知らないことを理由にたやすく免責することはできない。取締役、監査役らには、会社から得た情報、または、自ら進んで情報を収集して、十分な情報を知った上での判断(インフォームド・ジャッジメント)が要求される。このような法の趣旨に照らせば、抗告人の本件代表訴訟が一概に主張自体失当であるとはいえないのである。また、高額な担保命令の安易な発令は、かつての高額な訴額と同様に、金銭的な障壁によって代表訴訟を封殺することにも繋がるのであって、慎重な運用が望まれる。高すぎるハードルは、法の理念にそぐわない。

六  民訴法上の補正命令と商法上の担保提供命令の関係

代表訴訟において、請求原因が不特定で主張自体失当である場合の取扱について、民訴法上の補正命令(釈明命令)、訴状却下ないし訴えの却下、請求棄却をするか、あるいは、商法上の前示担保提供命令をするか、が問題になる。

原決定は、担保提供命令の方法を採っている。なるほど、補正命令に原告が応じず、本件と異なり、結局、請求原因が不特定で主張自体失当であるときは、請求にかかる取締役の会社に対する責任が事実上、法律上の根拠を欠き、かつ、そのことを原告が知って、本訴を提起したものといえる場合もないわけではない。そのような場合には、前示のとおり担保提供命令を出すこともできるであろう。しかし、請求原因が不特定で主張自体が失当というのであれば、それは、民訴法二二八条二項の訴状却下をすべき場合に当たる。また、同法二〇二条の口頭弁論を経ないで訴えを却下すべき場合にも該当し、場合によっては請求を棄却することもできる。このような民訴法上の訴状却下ないし訴えの却下、請求棄却の方が、より直接に実質的な判断をするものとして、本来的な方法であると考える。もし原審が本決定と異なり、請求原因が不特定で主張自体失当であると判断したのであれば、民訴法上の訴状却下ないし訴えの却下、場合によっては請求棄却をして、その当否につき本案の上訴裁判所の実質的な判断を受けるのが本筋であったと考える。

七  結論

以上のとおり、相手方らの本件担保提供命令の申立は理由がなく、これを認容した原決定は相当ではない。よって、本件即時抗告は理由があるから、原決定を取り消し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官吉川義春 裁判官小田耕治 裁判官細見利明)

別紙即時抗告の趣旨及び理由

第一 即時抗告の趣旨

一 原決定を取り消す。

二 本件申立を却下する。

第二 即時抗告の理由

一 詳細な理由は後に提出する準備書面において記載して陳述するが、次の理由は直ちに述べることができる。

二 原審裁判所が同時に審理していた原告久能恒子外被告松下廉藏外間の大阪地方裁判所平成八年(ワ)第八二八六号事件において、本件被抗告人らのうち右事件の被告らは、同様に担保提供命令申立をしたが、平成九年二月二六日頃取り下げてしまった。これは被抗告人らのうち右事件の被告らが、本案事件において何の申し開きもできないことを自認したからに外ならない。現に被抗告人らのうち、被抗告人須山忠和、同松下廉藏、同川野武彦は平成九年三月二四日大阪地方裁判所刑事部において行なわれた業務上過失致死被告事件の第一回公判期日において、起訴状記載の事実を全面的に認め、被害者に対して謝罪をした(疎乙第三号証参照)。これら三名に対しても原決定は担保提供を命じている。右三名は元社長、平成八年九月の逮捕時の前社長および現社長であり、株式会社ミドリ十字の運営について統轄的な責任を負うものであり、原決定の見識には強い疑いを抱かざるを得ない。

三 原決定は、二三頁において、「相手方は、請求原因として、(1)取締役が右非加熱血液製剤の製造販売にどのように関与したのか、(2)監査役が取締役の業務執行を監督する上でいかなる任務を怠ったのか、(3)取締役らが非加熱血液製剤の危険性をどのように認識していたかなど右義務違反および任務懈怠を基礎付ける事実について具体的に主張することが必要なのであり、相手方の責任原因に関する右(一)の主張は、請求原因事実の主張として極めて不十分というべきである」と述べている。抗告人としては、(一)被抗告人らが株式会社ミドリ十字が非加熱血液製剤の製造販売をした時に取締役であったこと、(二)右非加熱血液製剤の製造販売によって損害が発生したこと、および(三)御庁および東京地方裁判所において、提起された損害賠償請求訴訟事件において、支払義務を認めたことを主張すれば足りるものであり、そうでないことを被抗告人らが主張するのであれば、被抗告人らにおいて、右非加熱血液製剤の製造販売に全然関与していないとか、関与の度合が薄かったとか、または右非加熱血液製剤の危険性を知ることができない立場にいたとかいう主張立証は被抗告人らにおいて、抗弁として行うべきものである。一株主に過ぎず、強制捜査権を有しない抗告人において、原審審理中は被抗告人らの職務権限を知ることを要求するのは無理を強いるものであった。前記刑事事件の冒頭陳述および被告人とされた被抗告人らの意見陳述によって今や当時の事情が明らかになったので、抗告人は速やかに主張を補充することができる。

四 原決定は、二四頁において、「例えば、申立人田中一喜(監査役)は昭和五九年三月に、同野田英夫は昭和六〇年三月に、同渡邊良三、同原嶺、同西峯正、同田中一喜(取締役)及び同奥野良臣は昭和六一年三月に、同小玉知巳及び同後藤壽は昭和六二年三月にそれぞれ退任しており、また、申立人土井一成は、相手方が本件会社において右非加熱血液製剤を製造販売したと主張する昭和五七年七月ころから昭和六三年六月ころまでの間、人事部次長(昭和五四年二月から昭和五七年一〇月まで)、人事部長(昭和五七年一一月から昭和六二年二月まで)及び人事部長兼務取締役(昭和六二年三月から平成元年二月まで)の各地位にあったことが認められ、右の事実に照らしても、右(1)ないし(3)の点に関する相手方の主張は不十分というほかないし、また、相手方は、右の点について果たして十分な検討をして本案訴訟を提起したものか疑問を抱かざるを得ない」と述べているが、被抗告人らのうち松下廉藏、須山忠和、川野武彦の三名については右刑事事件で起訴されたことは既に公知の事実であり、しかも、抗告人は原審において起訴状の提出命令を求めていたものである。原審裁判所が主張が不十分だと指摘する点については、抗告人は請求原因としては十分であると考えるが、後日必要に応じて補充すると答弁していた。そして現に右刑事事件において明らかにされた冒頭陳述と被告人らの意見陳述によって優に補充できるものであることは明らかである。原審が刑事事件の冒頭陳述および被告人らの意見陳述の結果すら見ようともせずに、公判期日直前に短兵急に原決定を下す必要が奈辺にあったのか理解に苦しむという外はない。原決定摘示の被抗告人らは原決定摘示の年月に取締役を退任したのは仮に譲って事実であるとしても、右冒頭陳述および被告人らの意見陳述によっても、昭和六〇年三月一八日開催のミドリ十字幹部によるエイズ問題検討会によって「ミドリ十字の販売する抗血友病製剤であるコンコエイト及びクリスマシンにより、HIV感染者を出していることを認識しており、その販売を継続すれば、更にHIV感染者が増加してエイズを発症し、死亡するに至る危険性があることを十分に予見し得たものである」(疎乙第三号証参照)。被抗告人田中一喜が取締役として、右非加熱血液製剤の危険を認識してから取締役を退任するまでの期間が短かったことは間違いないが、取締役在任中にどのような行為をすべきであったかについては、本案事件において審理することが適切であり、担保提供命令申立を認容して早くも審理の対象から除外してしまおうと判断したのは不当である。原審裁判所は本件が極めて深刻な結果をもたらした社会的にも重大な事件であることの理解が不十分というべきである。

五 原決定は更に、被抗告人土井一成は人事畑を歩いてきたから賠償責任についての「主張は不十分というほかないし」、「また抗告人は「右の点について果たして十分な検討をして本案訴訟を提起したものか疑問を抱かざるを得ない」と述べている。しかし、右見解は人事畑を歩いている人は、右非加熱血液製剤の製造販売に関与していないとの誤った前提に基づくものである。一般に、営利企業の組織において、人事畑は最も会社の枢要な機能であり、そこから社長に選ばれることも少なくなく、実際被抗告人土井一成は本日現在株式会社ミドリ十字の代表取締役社長である。

六 原決定は二五頁において、「抗告人は単に抽象的な義務違反をいうにすぎ」ないと述べている。抗告人は本案訴訟において、今後取締役会議事録等の提出や右刑事事件の記録の取り寄せを求め、具体的な攻撃防御方法を主張しようと考えているものである。これについては被抗告人らおよびミドリ十字側の協力が得られる見込みもなく、自らを頼む外ない抗告人においてかなりの手間暇を要するものである。訴え提起の段階で、一株主に過ぎず、検察官のような強制捜査権を全然有していない抗告人に対して、詳細かつ具体的な義務及び義務違反の事実についての主張を要求すること自体無理である。

七 被抗告人後藤壽は平成八年秋入院先の病院で死亡し、著名な財界人の一人として殆どの日刊新聞紙にその訃報が掲載された。原審裁判所はその点の釈明、職権調査も怠っている。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例